2014/5/10 新消費税率でのご注文に変更いたしました。new
2011/5/21 TBS「志村どうぶつ園」で紹介されました。
2007/5/17 NHK「生活ホットモーニング」で紹介されました。
2005/6/1 「昔ながらの千歳飴(約30cm)」(9-10月限定販売)予約を開始します。<電話にて受付076-421-3675>
飴の起源は大変古く神武天皇の頃といわれています江戸時代の初期、初代山屋長兵衛が越中(富山県)で飴づくりをはじめました。
あめは「越中売薬」とともに栄えましたが食事の代用や栄養補給・保存食品としても大切につかわれました。
今も昔ながらの製法で砂糖を使わず麦芽と澱粉のみで二日がかりで仕上げます。大きな樽の中でゆっくり発酵するのを待ってからいくつもの釜を渡って炊きあげ、あの職人の匠の技が伝統の味を守っています。
(「お店のしおり」より)
残念ながら、全国でもほとんどなくなってしまった麦芽飴が、いまもなお富山で匠の技として残っているということは、知られていません。
なぜ麦芽飴が富山に残っているのでしょうか?それは、富山の産業と関係があります。史実として残っているのは、「富山の売薬」との関係です。富山の薬売りは全国的にもあまりにも有名で、県外の方はいちばんに思い浮かべられる事と思います。その薬を飲みやすくするために、薬売りが飴を一緒に持ち歩きました。今も、製薬の材料として使用されています。
もうひとつは、高山での織物産業に関係しています。織物産業が栄えた当時、食事の時間も取れないほどのいそがしさの中で、栄養を手軽に補給できる食品として富山からたくさんの飴が高山へ運ばれた歴史があるそうです。これは私の推測でしかありませんが、「おわら風の盆」であまりにも有名な越中八尾は、養蚕の地・・・絹の素材としてたくさんの繭が高山へ運ばれました。もしかすると、飴も一緒に運ばれていたのかもしれません。
そんな、歴史の重なりが、私の心を揺り動かすことになりました。全国の方へ、富山の匠の味をお届けいたします。(紅井)
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